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東京地方裁判所 昭和48年(人)1号 判決 1973年3月10日

請求者 甲野花子

右代理人弁護士 増田弘麿

被拘束者 甲野月子

右代理人弁護士 岡田正美

拘束者 乙山一郎

<ほか二名>

右三名代理人弁護士 丸山正次

林武一

主文

被拘束者を拘束者乙山一郎、同乙山梅子から釈放し、請求者に引渡す。

請求者の拘束者乙山竹子に対する請求を棄却する。

手続費用は拘束者乙山一郎、乙山梅子の連帯負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求者

被拘束者を拘束者乙山一郎、同乙山梅子、同乙山竹子から釈放し、請求者に引渡す。

手続費用は右拘束者らの負担とする。

二  拘束者ら

請求者の請求を棄却する。

手続費用は請求者の負担とする。

第二当事者の主張および意見

一  請求者

(一)  請求者は、昭和四三年一〇月ごろから拘束者乙山一郎(以下拘束者一郎という)と同棲をはじめ、昭和四六年一月一一日、被拘束者甲野月子を出生した。そして、請求者は、現在、被拘束者の親権者である。

(二)  拘束者一郎は、昭和四七年八月六日正午ごろ、被拘束者を公園に連れて行くと称して、同女を請求者の手元から突然に連れ去った。そして、被拘束者は、現在、肩書住居地で、拘束者一郎、その妻である拘束者乙山梅子(以下拘束者梅子という)および拘束者梅子の実母で同一郎の養母である拘束者乙山竹子(以下拘束者竹子という)によって監護され、拘束されている。

(三)  ところで、請求者は、拘束者一郎が被拘束者を連れ去るまで、実の母親としての愛情をもって同女を養育していたものであって、現在経済的能力においては拘束者らに劣ることは否めないけれども、被拘束者を引取った場合には、東京都新宿福祉事務所の援助により、母子が一緒に生活できるような住居および職業を見つけ、あるいは被拘束者を保育園等に入園させるなどの措置をとることが十分に期待しうる状況にある。さらに、被拘束者は、その年令を考慮すれば、母親である請求者の下で養育されることが必要であり、かつ幸福である。

(四)  これに対し、拘束者らは、被拘束者を監護する権限を有しないうえ、次に述べるとおり幼児を養育するには極めて不適当な事情にある。

1 拘束者一郎は、職業柄出張することが多く、自宅には不在勝ちであり、また、東京には妻および請求者以外に二名の婚姻外の女性があって(なお、それらの女性との間に四名の婚外子がある)、被拘束者と接触する機会がほとんどないうえ、同女に対する愛情もない。そして、拘束者一郎は、被拘束者を連れ去った後の昭和四七年一〇月二五日、同女を認知する旨の届出をしているが、これも請求者との婚姻外関係を解消する際に支払うべき慰藉料を低額に押えようとする意図の下にしたものにすぎない。

2、拘束者梅子は、これまで、幼児を養育した経験がなく、また、上京して自宅を不在にすることが多いため、被拘束者を養育するには不適当である。

3、拘束者竹子は、老令であって、被拘束者を養育する能力が全くない。

(五)  なお、拘束者らは、請求者が異常性格者であって子の養育には不適当であると主張するが、そのような事実はない。請求者は、以前、精神病質による適応障害の診断を受けたことはあるが、これは、当時の家庭環境に起因するものにすぎず、現在では被拘束者を養育することに何らの支障もない。また、被拘束者が連れ去られてから後の請求者の精神状態には多少の動揺が見られるが、これは、子供を連れ去られた母親として当然のことであり、一時的な現象にすぎないものである。

(六)  以上のとおり、拘束者らは、何らの権限もなく、かつ親権者である請求者の意思に反して、意思能力のない被拘束者を拘束している。これは、違法な拘束であり、また、被拘束者は、拘束者らに監護されるよりも、請求者によって監護される方が幸福であることは明らかであるから、その拘束の違法性は顕著である。よって、請求者は、人身保護法に基づき被拘束者の救済を求める。

二  拘束者ら

(一)  請求者の主張(一)記載の事実は認める。同(二)記載の事実中、拘束者竹子が被拘束者を監護しているとの事実は否認するが、その余の事実は認める。拘束者竹子は、老令で、拘束者一郎、同梅子と同居しているにすぎない。

同(三)記載の事実は争う。同(四)記載の事実中、拘束者一郎には妻および請求者以外に二名の婚姻外の女性があり、それらの女性との間に四名の子があること、および被拘束者を請求者主張の日に認知したことは認めるが、その余の事実は争う。

(二)  ところで、本件のように、母から、認知した父に対し、子の引渡しを求める場合において、拘束の違法性が顕著であるか否かの判断は、主として、幼児が請求者の手によって監護される方が拘束者によって監護されるよりも幸福であることが明白であるか否かの見地から判断すべきものである(最高裁昭和二四年一月一八日第二小法廷判決、同昭和四三年七月四日第一小法廷判決参照)。そして、本件においては、以下に述べる請求者と拘束者らの双方の事情を比較考察すれば、被拘束者を拘束者らの下で監護する方が同女にとって幸福であることは明白である。

1 拘束者一郎は、日本大学土木工学科を卒業した者であり、現在は○○建設株式会社の経営者であって、資産収入も多く、また同梅子は、東京実践女子専門学校を卒業した者であり、現在生花等の教授をしている。拘束者らの家庭は、経済的に余裕があるばかりでなく、夫婦仲も良く、拘束者竹子、養女の松子(高校一年生)をも含めた家庭生活も円満である。被拘束者は、現在、このように物心共に恵まれた家庭環境において養育されており、しかも、拘束者梅子を実母と思い、他の家族にもなついて、安定した生活を送っている。

2、これに対し、請求者には、被拘束者を監護するにふさわしくない次のような事情がある。

(1) 請求者は、ヒステリー性の異常性格者であって、かつて精神病院に入院したこともある。そして、請求者は、拘束者一郎と同棲している間にも夜中突然に部屋の掃除を始めるなどの奇行があり、これが次第に昂じて、昭和四七年六月ごろからは、興奮すると被拘束者を拘束者一郎に投げつけたり、「月子と二人で死んでしまう」などと口走ることもあった。そこで、拘束者一郎は、右のような請求者の言動から推して被拘束者の生命の安全および将来の幸福に危惧の念を覚え、同女を請求者から連れ出したものであるが、請求者はその後も、拘束者梅子らに対し再三にわたり深夜脅迫の電話をかけるなどの異常な行動をくりかえしている。

(2) 請求者が被拘束者を監護する場合には、同女を託児所に預けたり、あるいは住込みで働いたりすることになるであろうが、そのような生活は拘束者ら方での生活に比し、物質的にも精神的にも極めて貧しいものになる。

(三)  さらに、拘束者一郎は、昭和四八年二月二〇日、東京家庭裁判所に、被拘束者の監護権者を拘束者一郎と指定する旨の審判の申立をしたので、今後相当期間内に右申立に対する家庭裁判所の判断がなされる筈である。そして、これは、人身保護規則第四条但書に規定する場合に該当するので、その点からしても本件請求は理由がない。

(四)  よって、請求者の本件請求は、棄却されるべきである。

三  被拘束者代理人の意見

被拘束者にとり、請求者と拘束者らとのいずれによって養育されるのが幸福であるかは、一概に断定しがたいが、次のような事情を考慮すれば、被拘束者を親権者である請求者に養育させるのが相当である。

(一)  請求者は、通常人に比して多少異常と思われる性格を有するが、しかし、精神病であるとは断定できない。

(二)  請求者の今後の生活については、東京都新宿福祉事務所が協力し、援助するとのことであり、また、被拘束者の養育費については、現在東京家庭裁判所に係属している調停事件等において然るべく決定される筈である。

(三)  拘束者一郎と同梅子との間には養女の松子があり、被拘束者が成長した暁には被拘束者に影響を与えるおそれなしとしない。また、拘束者梅子が将来被拘束者を養育する意思をなくした場合には、職業上家庭を離れる機会の多い拘束者一郎には、被拘束者の十分な養育を期待することができない。

第三、疎明≪省略≫

理由

一  拘束の有無について

(一)  被拘束者が昭和四六年一月一一日に出生した現在満二才二ヶ月の幼児であること、拘束者一郎が昭和四七年八月六日被拘束者を請求者の手元から同人に無断で連れ出し、その後拘束者一郎および同梅子が肩書住居地において被拘束者を養育し監護していることは、いずれも当事者間に争いがなく、また、被拘束者が現在意思能力を有しないものであることは、その年令から推して明らかである。

ところで、意思能力のない幼児を手元において養育し監護する行為は当然にその幼児の身体の自由を制限する行為を伴うものであって、その監護行為自体が人身保護法および同規則にいう拘束にあたると解すべきであるから、以上の事実によれば、拘束者一郎および同梅子は現在被拘束者を拘束しているものというべきである。

(二)  しかし、拘束者竹子については、同人が被拘束者を拘束していることを認めるべき疎明はなく、却って、≪証拠省略≫によれば、拘束者竹子は、既に七四才になる老令者であって、肩書住居地において拘束者一郎および同梅子と同居の生活をしているにすぎないものであることが認められるから、拘束者竹子が被拘束者を拘束しているという請求者の主張は失当である。

二、拘束の顕著な違法性の有無について

(一)  法律上の監護権を有しない者が幼児を手元において監護し拘束している場合に、法律上の監護権を有する者が人身保護法に基づいてその幼児の引渡を請求するときは、両者の監護状態の実質的な当否を比較考察したうえ、幼児を請求者の監護下におくことが幼児の幸福のために著しく不当なものと認められないかぎり、たとえ現在の拘束者による被拘束者の監護状態が一応妥当なものと認められるときであってもその拘束は違法性が顕著であると解して、監護権者からの請求を認容するのが相当である(最高裁昭和四七年七月二五日第三小法廷判決・判例時報六八〇号四二頁、同昭和四七年九月二六日第三小法廷判決・判例時報六八五号九五頁参照。なお、拘束者ら代理人が援用する判例は、いずれも共同親権者間における幼児の引渡請求事件に関するものであって、本件には適切でない。)。そして、本件において、婚外子である被拘束者の法律上の監護権者、すなわち親権者は請求者であること、および拘束者一郎は被拘束者を認知しているが、いまだ監護権者としての指定を受けていないことは、当事者間に争いがなく、したがってまた、拘束者一郎および同梅子が被拘束者の法律上の監護権を有しない者であることも明らかである。

(二)  そこで、請求者と拘束者一郎および同梅子との監護状態の実質的な当否を比較考察すべきところ、拘束者らは、請求者はヒステリー性の異常性格者であって、被拘束者を請求者の監護下におくことは被拘束者の生命の安全および将来の幸福のために適切でないと主張するので、まず、この主張の当否について検討する。

1、≪証拠省略≫を総合すると、請求者は、昭和四三年一〇月ごろから、拘束者一郎と同棲して婚姻外関係を結んでいたが、昭和四六年六月ごろから、同人との仲が円満さを欠くようになっていたところ、同人と口論をした際に、「月子と一緒に死んでしまう。」とか、「月子はパパといなさい。私は出て行く。」とかなど口走ったことがあった事実が一応認められ(る。)≪証拠判断省略≫しかしながら、請求者のこの発言は拘束者一郎と口論した際の発言にすぎないから、これをその言葉どおりに解すべき性質のものではなく、この発言のみをもって、請求者が被拘束者を養育監護する意思を有しないとか、被拘束者を養育するのに不適当な異常性格者であるとか速断することは相当でない。なお、請求者には拘束者一郎との同棲当時深夜に突然掃除をはじめるなどの異常な行動があったという、≪証拠省略≫は、≪証拠省略≫に照らし、にわかに採用しがたい。

2、≪証拠省略≫を総合すると、請求者は、被拘束者を拘束者一郎から連れ去られた後、拘束者らの自宅などに対し再三電話をかけ、時にはそれが深夜であったり、通話中に不穏当な言葉を口走ったりなどしたことが一応認められ(る。)≪証拠判断省略≫しかしながら、これは愛する子供を突然に連れ去られた母親であればだれでもいだく不安と怒りの感情の自然の発露にすぎないものと考えるべきであって、これをもって請求者の平常時における精神状態までを推断することは相当でない。

3、なお、≪証拠省略≫によれば、請求者は、精神病質(他罰的傾向を主とする性格偏倚)に基づく適応障害との診断で、昭和四三年三月一九日から同年四月二四日までの間東京武蔵野病院に入院した前歴のあることが認められる。しかしながら、そのことが直ちに被拘束者を請求者の監護下においた場合その生命の安全および将来の幸福のため重大な障害となることを認めるべき疎明はなく、かえって、後記認定のとおり、同女を無事に養育監護していた事実が認められる。

したがって、拘束者らの前記主張は採用することができない。

(三)  次いで、拘束者一郎および同梅子による被拘束者の現在の監護状態についてみるに、≪証拠省略≫によれば、現在、拘束者一郎は、○○建設株式会社という土建会社の経営者であって、肩書住居地を不在にしがちではあるが、土地、建物等かなりの資産を有しており、年収額も七〇〇万円を下らず、経済的には相当の余裕を有する者であるし、また、拘束者梅子は、ほとんど常に肩書住居地の自宅にあって、専ら被拘束者の養育に当っており、他方、被拘束者も、右拘束者らの家族になついて、一応健康で安定した生活を送っていることが認められ、これに反する疎明はない。

(四)  さらに、請求者が被拘束者の引渡を受けた場合における被拘束者の監護状態について考えるに、≪証拠省略≫によれば、請求者は、被拘束者の出生後同女が拘束者一郎に連れ去られるまでの間約一年半にわたり、母親としての愛情をもって同女を正常に養育監護していたこと、同女が拘束者一郎に連れ去られた後は、同女を取り戻すためにできるかぎりの手段を講じており、同女に対する愛情を失っていないこと、さらに、請求者は、現在は、拘束者一郎所有のマンションの一室に居住し、保険会社の事務員として月収約四万五〇〇〇円を得ているが、被拘束者を引取ることができた場合には、母子寮に入居するとか、住込みで働くとかして、同女を養育して行くつもりであり、そして、その実現については、東京都新宿福祉事務所の援助を期待しうることが一応認められ(る。)≪証拠判断省略≫なお、被拘束者が請求者に引渡された場合においても、被拘束者を認知している拘束者一郎は、法律上当然に、被拘束者の養育費を分担すべきものである。

(五)  以上の(二)ないし(四)の事実関係を総合して、請求者と拘束者一郎および同梅子との監護状態の実質的な当否を比較考察すると、拘束者一郎および同梅子による被拘束者の現在の監護状態は一応妥当なものといえないわけではないが、しかし、被拘束者を右拘束者らから法律上の監護権者である請求者に引渡してその監護下におくことが被拘束者の幸福のために著しく不当なものとは到底認められないから、結局、右拘束者らによる被拘束者の拘束はその違法性が顕著である場合にあたるものといわざるをえない。

三  人身保護規則第四条但書の適用の有無について

≪証拠省略≫によれば、拘束者一郎は、本件第二回審問期日の後である昭和四八年二月二〇日、東京家庭裁判所に、請求者を相手方として、被拘束者の監護権者を拘束者一郎と定める旨の審判の申立(同裁判所昭和四八年(家)第二〇九九号)をしたことが認められる。しかしながら、右審判などの方法によっては、人身保護法によるほど適切かつ迅速に被拘束者の違法拘束状態からの救済の目的を達することができないことは明らかである。したがって、本件は人身保護規則第四条但書の適用がある場合にはあたらないものというべきである。

四  結論

以上に認定考察したところによれば、請求者の拘束者一郎および同梅子に対する請求は理由があるから、これを認容して、被拘束者を右拘束者らから釈放し、なお、被拘束者は幼児であることにかんがみ、人身保護規則第三七条に従い、被拘束者を請求者に引渡すこととする。しかし、請求者の拘束者竹子に対する請求は理由がないから、これを棄却すべきである。

よって、手続費用の負担につき人身保護法第一七条、人身保護規則第三八条、第四六条、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 蘒原孟 吉原耕平)

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